あの時の動揺を、私は忘れていない。
その頃、私はトリイ・ヘイデンという作家の掲示板に
参加していた。
ご存じの方も多いと思うが、長年、情緒障碍児の教師を
なさった後、主にノンフィクションで子ども達のことを
書いてこられた作家だ。
書かれた本は日本を含め、様々な言語に翻訳されて
世界中で読まれているため、掲示板も国際的だった。
あの頃あの掲示板に参加していなかったら、9.11は
遠い国のニュースでしかなかったと思う。
心を痛めはしたと思うが、やはりどこか遠いだろう。
掲示板は基本が英語で、作家の出身地も米国だから、
アメリカ人の参加者がやはり多い。
知っている誰かが、犠牲になったかも知れない・・・!
早く確かめないでいられないのに、確かめるのが怖い
ような、矛盾した、嫌な感じ。手のふるえ。
幸いにも、私の友達は全員無事だった。
しかしその中にも、知人や、そのまた知人が・・・と
いう人がいた。
中には「私もいつやられるか判らない」と、
遺書めいたメールを送ってくる人もいた。
戦時中でさえ、本土を攻撃されたことがない国。
初めてのことが、なんでもない普通の時に起きて、
ホワイトハウスなどじゃなく、貿易ビルがやられて、
しかも一般市民の乗った旅客機が使われて・・・。
もし小説で書いたら「荒唐無稽」と笑われるようなことが、
実際に、何の予告もなく起きてしまったのだから、
誰もが動転しただろう。
そのうち、日が経って落ち着いてきたら、怒りの感情を
持つ人が多くなってきた。
「我々の愛国心を”奴ら”に見せてやるべきだ」
そういうトピックが、少しずつ立つようになった。
敬虔なクリスチャンで、いつも慈愛の言葉で溢れていた人も、
「幼い甥が『あんな事をした人達も、神様はお許しになるの?』
と訊いてきたので『絶対にお許しにならないわ』と答えた」
と書いていた。
まだ事件から日も浅い時期に、よその国の私が
書くのはどうか、とも思ったが、勇気を出して、
拙い英語でこんな内容を伝えてみた。
「”愛国心” って、国の文化や特徴を愛する、という意味で
使われる分には素敵だけれど、そうじゃない場合が多い。
人は時々、”私たち” が正しくて、他の人や国は間違い、
と考えがちになる。
そして子ども達は、そんな大人の影響を簡単に受けてしまう。
テロリスト達もあるいは彼等なりの『正義』によって
こんな事をしたのかも知れない。
アメリカはその偉大さを、暴力以外の方法で示せるはずだ。
どうか『報復』という名の下に、彼等と同じ事をしないで欲しい。
“ジェラルディン” のような子ども達を、これ以上増やさないで」
”ジェラルディン” というのは、トリイ・ヘイデンの
『愛されない子』という本に出てくる子どもの一人で、
私の言いたいことを伝えるのに一番象徴的な子どもだった。
この子は IRA がらみの悲惨な出来事で、
家族を亡くしている。
幼い妹とただ2人残された彼女は、自らも幼いのだが、
突然「一家の最年長」となり、「家族の意志」を
自分が継ぐべきだと信じている。
『復讐よ。復讐しなくてはならないの。
それが、お父さんがしたがっていたことだから』
・・・こんなに悲しいセリフはない。
今また、あの地でコーランを焼くだの止めるだの、
「嫌な感じ」のことが、ニュースになっている。
悪いのはコーランなのか、イスラム教徒全員なのか、
それを焼くことに、「焼くぞ」と発表することに、
どんな意味があるのか、それが何を招くのか・・・。
それは、善良な人を悲しませ、復讐心や怒りに
「火をつける」ことにしかならないと私は思う。
そしてまた、新しいジェラルディンが増えてゆく。