陰中陽。 -『レナの約束』(1)-

『レナの約束』は、アウシュビッツ収容所での実体験の本だ。

mixiでマイミクさんが素敵な感想を書いてらして、
読んでみたくなったが、やっぱり内容が内容なので、
その時の私には重く感じられ、
手元に置きつつ、しばらくそのままにしていた。

結果、もっと早く読めば良かったと思う。
読んでいて、全然つらくない。むしろ爽やかなのだ。

もちろん、残酷な場面は沢山ある。
が、レナの人柄が、これを湿ったものにしていない。

看守を上手く出し抜きつつ、あわやという所でいい方向へ
運命を切り開いてゆくさまは、すごく軽い言い方をしてしまうと、
「ショーシャンクの空に」のような、してやったりな痛快感。

一番印象に残ったのは、レナが収容所の粗末で不潔な衣類を、
寝押しをしたりして、少しでも快適に、家と同じように、
出来る範囲で最大限に「当たり前」に振る舞おうとする所。

身だしなみを整えた所で、誰かが素敵と言ってくれたり
するわけでもなく、体力的にも精神的にも、
そんな余裕は、普通の人ならなくなっていくはずだ。

でもそれこそが、何事においても、一番大事なことだと思う。
「今の状況できることを、一つずつ、確実にやっていく」
これがなかなか、苦境にいる時は難しい。

「陰中陽」・・・これは解釈が間違っているかも知れないが、
「闇の中にある光は、本物の光。それを見つけられる人は、
どんな状況でも本当の光を見られる」

という風に私は思っている。

レナは、真実の光を知っている人だと思う。
そして、自分自身が光となって、周りの暗闇を照らせる、
そんな人のような気がする。

(たぶん続く)

満月

デジャヴュ。

某アンパンのヒーローにそっくりです。

君、え〜と、チョコパンマンくんだね。
君にそっくりな有名人が居なかったか?親戚か?
・・・違うのか、そうか。
わたしの気のせいだったようだな。

それにしても君・・・ちょっと高いな。

サイドバー修正

ブログシステムのアップグレードの際に、
サイドバーの「カテゴリ」と「過去ログ」が非表示に
なってしまってました。
(大分前からだと思います・・・すみません)

現在は修正してあります。

5月頃「Toripy 過去ログ」で検索して下さった方がいて
(今日)気がつきました・・・。
ご迷惑お掛けしてすみません。

もしお気づきの点ございましたら、どの記事のコメント欄でも
構いませんので、お気軽にコメント頂けますと助かります。
コメント頂くとメールが来るようになっているので、
うっかりなToripyさんでも、さすがに気づく、という
仕組みになっております。

よろしくお願い申し上げます。

Toripy

続・女はソレを我慢できない。

前回、高速道路で野ションをした母。
残念なお知らせだが、これは続編である。

今回のことは、私が中学生くらいの時に起こった。
私が助手席に乗って、2人きりのドライブだった。

例によって、
「お母さん、トイレ行かなくていいの?」
と訊いた。

「小さい子っちゃうんじゃ!そんなんいちいち言わんでも、
行きたきゃいくワ!大丈夫じゃ!」

母がキッパリ言ったので、そうだよな、
もう大きくなったんだしね、と信用して車に乗った。

そして10分も経たないうちに、
「・・・チビる・・・チビる!・・・もうアカン・・・」
と言い出した。

あれだけ啖呵を切っておきながら・・・!
しまった、大きくなったのは私だけで、母は成長していない。
信用しちゃったなんて、私のバカ!
が、今更悔やんでも遅い。

喫茶店か何かでトイレを借りようと申し出たが、
「小便の為に金を払いたくなく、無料で借りるのは恥ずかしい」
という面倒くさい理由で却下。

「もうアカン。最後の手段じゃーーーーー!」
母は叫んだかと思うと、アクション映画も真っ青なくらいの
ブレーキ音をさせながら急カーブし、小さな青空駐車場に
突っ込んだ・・・。

フロントガラス越しに、母の用足しが始まる・・・。

さて、この駐車場は、民家に隣接しており、
台所らしき格子のある細長い窓があった。

先ほどのブレーキ音を聞いて、事故だと思ったのだろう、
その窓が、ものすごい勢いで開き、
その家の奥さんが、顔をのぞかせた。

奥さんが目にした光景は、おそらく想定外のもの。
どうにかこの状況を理解しようと、母→私→母の順に見、
最後に、
「キャーーーーーーーーーー!」
と叫んで、ピシャッと窓を閉めた。

ガラスの仮面風白目の婦人が「きゃー」と叫んでいます

私はこの時、思春期まっただ中である。
恥ずかしさに消え入りそうになっていると、その窓が再び、
今度はそ〜っと開いた。

さっき見た光景が信じられなかった奥さんが、
もう一度確かめようとしたのだ。

やはり同じように母→私→母の順で見た。
幻じゃないわ、いい歳の母親の方が放尿してるんだわ、
後ろにいる娘が生まれた時に出てきた穴を私に向けて!
・・・とか思ったかもしれない。

奥さんはもう一度、さっきより高い声で
「キャーーーーーーーーーー!」
と叫ぶと、ピシャッと窓を閉め、今度は鍵を掛けた。

運転席にスッキリした顔で戻ってきた母は、
「あのクソババァ、2回も見やがって、見せもんちゃうぞ!
何が『キャー』じゃ!」

と悪態をついた。いやいや、あんなん見せられたら、
屈強な男だって、キャーだ。
見せもんちゃうなら、個室でやって欲しい。頼む!

喫茶店のトイレを「そんな恥ずかしいことはできない」
と却下し、駐車場でした母・・・。
彼女のいろんなものの基準が、未だに理解できない。

女はソレを我慢できない。

うちの母はトイレのない所に限って尿意を催す人であった。

なので車で遠出する際などは、子どもである私のほうが、
「お母さん、トイレは済んだの?大丈夫?」
と訊くという逆転現象が起きたりする。

母は「戌年なのでしょうがない」などと嘯きつつ、
頻繁に困った事態を引き起こしていた。

一番の問題は、うちで免許取得者は母だけということだ。

「あー!チビる!もうアカンわ、もうチビる!」
などと叫び、信じられないほど激しい貧乏揺すりを始める。
車全体が、それに合わせて激しく揺れる。

そのうち、
「今事故起こしたら、チビってもバレへんな・・・」
と怖いことを言い出すので、同乗者は気が気じゃない。
もう、こんな女に免許を授けた、国家が憎いっ。

ある時、それはあろうことか、高速道路で起こった。
父は「なぜ済ませておかぬ」と今更しょうがないことを言い、
「お前みたいな運転もできん男に、偉っそうに言われたない!
道路へ突き落とすぞ、ハゲ!」
と母が応戦する。

女らしい父は、大人しく黙ったが、口喧嘩に勝ったところで
母の尿意が止まるわけではない。
「もう限界、ホンマにもう限界じゃ・・・」
と小さくつぶやいたかと思うと、助手席の父に、
「ドアロック開けとけ。開けぃちゅうに!さっさとせぃ!」
と怒鳴った。

「な・・・何をする気や・・・!」
と、怯えて父が訊ねる。先ほどのやりとりの後なので、
本当に突き落とされることを懸念したのだ。
が、そうではなかった。

車の中でどん引きしている父と私の横でじょぼじょぼと音がしています

母は路肩に急停車した。
尿意から解放される唯一の方法を、実行するために・・・。

人類としての最低限のはじらいとして、
後部座席と助手席のドアを目隠にしたかったのである。
が、この方法だと、父は何の仕切りもなく、
母の用足しに接することになる。

「や、やめてくれ、俺の隣でするなぁぁーーー!」
絹を裂くような父の悲鳴が、「ジョンボリジョボジョボ」
という母の放尿の音にかき消される。
一体どこにそんな量を溜められるのか、という程の
謎の黄色い液体が、小川を成す。

「・・・最悪だ・・・悪夢だ・・・」
父は少女のように、目を瞑ってしくしく泣き始める。

が、泣いている場合じゃなくなった。
車が、勝手に動き始めていたのである・・・。
母は尿意に慌て、サイドブレーキを引き忘ていた。

車は前に動き、母の身体で後部座席のドアが閉まった。
こちらを鬼の形相で睨みながら、
尻もなにも丸出しにしつつ、それでも小川作りはやめない
我が生みの母が、徐々に小さくなっていく・・・。

その横を、他所の車がビュンビュン通り過ぎる・・・。
母はジョボジョボ、車はビュンビュン・・・言うてる場合か!

「ちょっと、お父さん、何とかして!止めて!」
私は焦って叫んだ。ほんと、なんとかして。色んな意味で!

が、父は免許がないため、サイドブレーキを引くという
知恵が出ず、あわあわしていただけだった。
・・・マジで使えねぇ。

母が大河作りを終えて運転席に戻った時、
ブレーキのことで再びケンカになったことは、
言うまでもない。

馬人間。

子ども向けの御伽草子の本に、『御曹司島渡』の抜粋があって、
何回読んでも楽しい。

ーーーだいたいの内容ーーー

島におりると約30mの身長の巨人が2〜30人出てきて、
上半身は馬、下半身は人間。
みんな腰のあたりに太鼓をつけている。

なんで太鼓つけてるのか訊くと、
「おれたちは背が高すぎて、一度ころんだら自分の力では
 おきあがれないんだ。助けてくれ、とさけんで
 声がつづかなくなったときに、この太鼓を鳴らすのだ」

長居するほどの島ではないなと考え義経は、また船を出した。

ーーー終わりーーー

すごいよ、逆ケンタウルス!
馬の身体で一番優れてるの脚なのに、人間のそれは手先なのに、
敢えて逆でくっつけてみました、と。
デカいけど、鈍くさくて、弱そう・・・。

馬の手なんて、蹄だから。太鼓のバチ持つのも一苦労よ。
その太鼓がまた、「助けてと叫んで声が続かなくなったら」
使うのよ!そのためだけの、マイ太鼓。

・・・せつない。笛とかないんか。
それ以前に、30mの巨体が倒れたら、大きな音するから
誰か気づくんじゃないのか。
叫びすぎて声が尽きて、太鼓を出す時の寂しさ・・・。
太鼓を下にして倒れてしまったら、どうしよう。
不安で夜も眠れない。

こんな面白い島、もっと滞在していろいろ訊いたら
楽しそうなのに、「長居するほどの島ではない」だなんて。

ちっこい男が流れ着いたのを、わざわざ30人も出てきて、
割と親切に質問に答えてくれてるし、いい馬人間だと思うんだー。

私なら、しばらく居ちゃうなぁ。

「ねこ島」と「いぬ島」が気になる。
「牛人島」も気になる・・・。
でも、この本には載っていない。つまらない・・・。

楽園。

昨日の夜、宮部みゆきの『楽園』を読み終えた。
どんな内容か知らず、「仕事」の合間に読める軽い読み物として
借りてきた。なんか暢気そうなタイトルだし。
誤算であった・・・。

PMSの時はホルモンの関係で鬱状態や不眠になりやすく、
感情の起伏も激しくなりがち。
私のようにヘタレなものは、受け入れる情報も、
自分の状態をよく考えないと、などと思い、この時期は
深刻な感じのものはなんとなく、避ける傾向にある。

特に数日前、ちょっと怖い夢を見てしまって(笑)。

私が大事に育てた動物を、母が串刺しにして、
ニヤニヤしながらライターで焼いている。
「どうして?焼くなら私を焼けばいい!」
などと泣き叫びつつ、止めようとするんだけど、
なぜだか私は幽霊みたいに母をすりぬけてしまう。

この夢、本当に母がしたことの断片が、複合的に混ざってる。
それぞれのことはまた、別に書く時があるかも知れないけど、
ひとつひとつは、夢ほどひどくないことだ。
総合しちゃうとすごく恐ろしい感じになるなぁ・・・と、
目覚めて思った。

んで、気を取り直して読んだ、『楽園』。
めっちゃ、リアルに怖いやん・・・(笑)。

虐待の話では全然ないんだけれど、「床下に隠した姉の死体」
というモチーフは、私の頭の中にずっとあったイメージだし、
「家族の中にろくでなしが居たら、いったいどうすればいいの」
という問いかけは、すごく胸に刺さった。

「床下の死体」のイメージについては、長くなるのでまた
別に書きたいが、もちろん、実家の床下に死体はない(笑)。
(アパートの2階なので、床下すらないし)

外国の「戸棚の骸骨」という表現が指す「家族の秘密」という
意味でも、それを世間から守っていく時の辛さや孤独感は、
なんとなく分かる気がする。

うちの実家は私を含めてみんなろくでなしだ。
自分で言うのもなんだが、人間的な意味では私が一番まともと思う。
私は「自分がただ、生きる」というそのことだけを守る為に、
他の2人のろくでなしを、私の人生から切り離した。

捨てたのだ。
そのこと自体に、後悔はない。あの家の人達と付き合いながら、
発狂も自殺もせずに、今まで生きられた自信がない。
が、自分を冷たい人間だな、とか、申し訳ないな、とかは、
やっぱり思う。

この本の最後のほうで、
「誰かを切り捨てなければ、排除しなければ、
得ることの出来ない幸福がある」
とある。
そうしないでみんなが幸せになれるのが理想だけれど、
そういかないことのほうが多い。

この話に出てくる家族の「排除」の仕方はあってはならないが、
きっと現実にこうなってしまう家族もあるのだろう。

登場人物がどれもせつなくて、わんわん泣いた。
んで、すっきりした。(ゲンキン・・・)

いっぱい泣くのも、笑うのと同じくらい大事かも知れない。

静かに眠れ、夜明けまで。

『アボンリーへの道』というカナダのドラマをご存じでしょうか?

『赤毛のアン』の架空の村「アボンリー」の人々を
美しくユーモラスに描いた、名作ドラマです。

このシリーズの中に、「サナトリウム」という副題の回が
あります。(原題: “Thursday’s Child” )

どのような内容かというと・・・
キング家の娘セシリーが、肺結核になってしまいます。
この時代では「肺結核=死」というイメージの強い病気です。

村の人たちはパニックになり、家族の者は差別されて、
母親のジャネットは「子供を病気にした」という罪悪感から、
精神的に追い詰められていきます。

事情は全く違いますが、どこか、今の私たち、
地震や原発に対しての私たちの様子に似ていないでしょうか?

原発の事では、周辺に住む方々が病院で拒否されたりという
悲しい事実が報道されています。
遠くで見ている者は、それを聞いて憤るわけですが、
ちょっと何かが違えば、差別する側にもされる側にもなり得ます。
それは今回のことだけでなく、様々なことに当てはまることです。

だから、今どの立場に居るにしても、他の立場になる可能性がある、
ということを念頭に置いて、このドラマを一度見て頂けないでしょうか。

アボンリーへの道 61話「サナトリウム」

(視聴には Veoh Player のダウンロードが必要です)
※ダウンロードしたプレイヤーを立ち上げたままで、
上記リンクを開いて再生して下さい。
また、動画そのものをダウンロードしてプレイヤー内で
視聴することも出来ます。

ーーーー✂ 以下、少々ネタバレあり ✂ーーーー

ドラマの途中で、アンのファンの方にはおなじみの
ミセス・リンドがセシリーの病気について、
姉のフェリシティに文句を言う場面があります。
リンド夫人が帰った後、フェリシティは言います。

「どうしてあんなに怒らなくちゃならないの?
妹だって、好き好んで病気になった訳じゃないのに!」

この時、これもおなじみのミス・ステイシーが言うのです。

「怒っているんじゃないのよ。怖いの。恐ろしいの」

ステイシーさんは、どちらに対しても感情をぶつけず、
ただフェリシティを励まし、彼女らしい知性で、
何ができるかを探します。

また、親戚なのに差別する側に回ってしまった人たちは
子どもを医者に診てもらい一安心してこう言います。

「正直言って恐ろしいんです。
なんとかして力になってやりたいと思うんですけど、
家族に病気がうつってしまうことが怖くて・・・」

お医者さんは、
「家の中に入らずに助けられることもあるじゃないですか」
と促し、やはり彼らの「出来ること」を見つけます。

遠くに居て何も出来ずにもどかしい気持ちを抱えている人、
近くに居ても目に見える何かができずに罪悪感を感じる人は、
きっとジャネットのつらい気持ちを分かってやれると思います。

また、ジャネットのような人が身近にいる人は、
きっと夫のアレックやイライザおばさんの気持ちに
寄り添うことができるでしょう。

放射線のことで大騒ぎになった時、
特にホテルで宿泊拒否などが起きていると聞いた時、
この回のことが頭に浮かびました。

差別に憤る人たちは、差別する側の怖い気持ちを理解し、
差別をしてしまっている人たちは、
怖い怖いとただ騒ぐだけでなく、正しい知識を得て、
自分にもできる何かを、一緒に探してみませんか?

差別する側も、それに憤る側も、立場を選ぶことが出来ます。
が、唯一、される立場の人間は、立場を選ぶことが出来ません。
どちらにも立てず真ん中で押される人間のことを一番に考え、
行動したいものです。

私もあれからずっと、自分にもできる「何か」がないか、
考え続けています。